因果応報もない、幸せと不幸せのプラマイ0もない、あるのは分相応な暮らし
結局幻想だと思いつつも、容姿がいい人とか収入が高い人とか夢を叶えてる人とかを見るとどす黒い感情に襲われてしまうのは、日本人に特有の歪んだ同質概念が働いてるらしい…と最近は自己分析している。
楽しく幸せに暮らして何も不満のない人生を最初から最後まで送る人がゴマンといることくらい痛いほどわかってるつもり。しかしそれでも自分が辛い時とか苦しい時に理由とか報酬を求めてしまうのはまだ心の鍛錬が足りないからだと思う。
人は結局持って生まれた器に合わせて生きるしかないわけだし、であれば身分不相応な幸せを最初から望まないことが、僕にとっては肝要だ。普通か、普通よりちょっとマシなくらいの気分をできる限り常に保ち、感情が上にも下にも振れないように注意しつつゆっくり生活すべきだと思っている。
人生に期待しても必ず裏切られる。例え一時の幸せがあってもそれは不幸せに振れる準備でしかない。
喜びは執着の感情に変わり、苦しみは忌避の感情に変わっていずれにせよ不幸。
感情が上にも下にもいかないように。慎重に。
とにかく人を恨みず、自分を恨みず、天を怨みず。
このうんざりするような日々にじーっと耐えて寿命が終わるのを待つ。何事にも終わりはあるはずだしな。
はぁ。にしても、早く終わってくれないかなぁ。