日々、淡々と

毎日淡々と生きていきたい

自殺に対する見方について

昔から個人的に、自殺については肯定的だった。今でも「自殺=悪」という風潮というか、そんな意見を見ると生理的に嫌悪する気持ちが論理よりも先に出てきてしまう。

 

大体、この世で生き続けるべきだっていう積極的な意味をはっきりと説明できる奴なんて一人もいないんじゃないか。自殺をするべきでない消極的な理由ならたくさんある。

・家族や友だちが悲しむ

宗教的に許されない

・自殺方法によっては苦しむ

・未遂に終わったら障害が残る可能性がある

でもさ、じゃあ逆に何のために生きてるの?って聞かれて、うまく答えられる人をこれまで一度も見たことがない。

みんなババ抜きで自分がババを引かされるのが怖いから、つまり自分が置いて行かれるのが怖いから周りの人に自殺してほしくないと言っているだけじゃないんか。

 

自由主義個人主義・資本主義の社会では、自分から主体的に動いて自分の思うとおりに人を動かしてお金を溜められる奴がいい思いをするわけで、そうじゃない人は貧乏くじばっかりだ。それはそれで仕方ないとしても、その貧乏くじばっかりの人が自殺を選ぶのを、いい思いばっかりしてきた人間が止めようとするのは単純にエゴじゃないか。悪じゃないか。間違ったことじゃないか。

 

そんな人が本当にこの世にいるのか知らないけれども、本気で自殺しようと思ったことが一度もないような、いわば現世の制度に合った性質を偶然持って生まれてきた人たちはいわば特権階級にいるわけで、そうじゃない人たちを見下ろしているわけだ。

東大によくいるこじらせた系の中高一貫出身者とか、なんにも考えてないけど毎日ハッピー(^^)みたいな専門学生とか、銀座の並木通りでホステス侍らせて肩を怒らせて歩いてる金持ってそうないかついおっさんとか、よく見かけるけどあいつらマジ特権階級なんだなってよく思う。

 

どの時代でも貴族とかお金持ちとか、上から人を見下ろす側にいる人たちは、自分の実力とか努力とか、そういったもので必然的に差ができていると思いたがる。実際はそうじゃないのに。ただの偶然なのに。

そんな自殺とは無縁な特権階級の人が、不運にもお金とか容姿とか能力とか生まれた場所や人種とかに恵まれなかった人が自殺しようとするのを見て嘲笑する図は、まさに世紀末。残酷物語。

 

別に自分の不遇とかを誰かのせいにするわけではないが、少なくとも人の自殺を笑うな、ということだけは声を大にして言いたい。(こんなカスブログで言ったところでなんにもならないとは思うけど)

自殺したやつだって必死に生きたんだ。きっと、自殺しないでのうのうと生き続けている我々よりもよほど大きな苦しみを背負って、戦い、負けては立ち上がり、何度も何度も限界まで追い詰められながら頑張ったはずだ。そして最後に敗北したんだ。いいじゃないか。何が悪いんだ。かっこいい生き様じゃないか。堂々と自慢できる人生、誇るに値する人生じゃないか。

 

親だからって子の自殺を常に止められるわけでもないし、逆もそう。社員と上司もそう。恋人同士もそう。本当に死にたい人は死ねばいいんだ。どうもがいたって何も変革が起こせない世の中で、最後の最後に自分の命ぐらい自分の好きにして何が悪い。

 

 

と、ふと思った。