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漫画の『いちえふ』を読んだ。
いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(1) (モーニングKC)
- 作者: 竜田一人
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/04/23
- メディア: コミック
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震災から3年が経った。
これまで、復興支援のボランティアなどで東北には何度も行っているが、福島第一原発を見たことはない。警戒区域内だし、当然といえば当然か。
領土だ何だと騒いでいる人を見ると、純粋に観念というのはすごいものだなと思う。自分では行ったことも見たこともない島のためにあれだけ感情的になることができるのだ。
俺には毎日の食費とか就活の方が忙しくてとても真似できない。暇な人達なんだろう。
想像の共同体である「国民国家」が成立する以前に多くの人が抱いていたであろう、もっと身近な「国」の概念の方がよっぽど俺の背丈には合っている気がする。公務員になりたいとか言っている人間がそんなことではいけないのかもしれないけど。
見たことのない場所で起こった原発事故と、見たことのない場所で日々リスクにさらされながら必死で作業を続けている人たちのことを思った。
自分の目で見たことのないものだけれど、漫画を読むとそれが現実にあることが説得力を持って伝わってくる。夢も同じだ。現実感があって目の前にあるように思ってしまう。自分の脳を一歩出たら、すべてそう。まるでそれが現実かのように受け入れることを迫ってくる。
俺はアメリカに行ったことも見たこともないのに、まるでアメリカという国がどこかに存在していることを自明のように話していることにふと気づく。俺は自分の顔を直接見たことは一度もないのに、朝洗面所の前で髭をそっている最中に「そういやこんな顔だったかもな…」と鏡の中の自分をその日の現実として受け入れる。指が五本あることもそう。人間に手と足があることもそう。まるで現実であることが自明かのようにがんがん迫ってくる。
この世界は既成事実を積み重ねて、無理やりな論理で納得させてしまう。うーむ、これはまさに詐欺師のやり口だ!
…でも、そんなことを考えてみたところで自分の観念は止まらないし、そう考えている最中にも拡張し続けている。
この観念はどこまで広がるんだろう。江戸時代の農民の人は村の中か、想像上の江戸・京都くらいまでだったかもしれないけれど、私の場合は物理学者の先生たちのおかげで、宇宙の先に向けてどんどん進んでいる。もちろん宇宙が本当にあるかどうかは別だけど、少なくとも俺の観念はいわゆる「宇宙」に向かって伸びている。この観念の行き着く先はどこなのだろうか。
手が無限に伸びて地球をグルっと回って自分の肩に触れるようにして、案外広げていった観念は最後、自分に戻ってくるのかもしれない。観念の出発点。脳の中のどこか。もちろん脳も観念の産物だけど。結局のところ、鶏と卵のように、考えることも究極のところでは回帰し続けるものなのかもしれない。
◯←こんな形で戻ってくると。
始まる箇所も終わりの箇所もない。