日々、淡々と

毎日淡々と生きていきたい

死に至らない病

ある意味で、死に至る病なのであれば楽になれるということもできるんじゃないかと思った。とすると、絶望が自殺に至らない場合には、絶望は終わりのない永劫回帰の中に閉じ込められる最悪の病なのかもしれない。

 

死に至る病 (岩波文庫)

死に至る病 (岩波文庫)

 

 

世界に一つだけの花が大流行したのは確か俺が中学生くらいの時だったけれども、当時の中学校の校長先生が、その歌詞はあまり好きじゃないと言っていたのをよく覚えている。「No.1ではなくてonly1でいい」と言うことによって、努力を軽視してはいないかということらしい。

確かにもっともな話だと思った。

 でもそんなことを言ったって、これから先の人生を考えると、不安ばかりが先に立つ。仮に今目の前にある就職活動がうまくいったとして、田舎にいる親が倒れたら?妻が浮気したら?子どもが事故にあったら?リストラされたら?大きな怪我をして働けなくなったら?大地震が起きて全て失ったら?リスクばかりが浮かんでしまう。一度コースを離れたら、うまく生きていける自信がない。希望がないことが絶望なのだとすれば、その絶望につながる落とし穴なんてそこら中にあるのではないか、と思えてしまう。落ちたら最後、死に至らない迷宮の中で本当に死ぬまで出られないのかもしれない。

「すべてを失っても希望だけは残されている」とは言うけれど、レールから外れることに対する蔑視、嘲笑を肌身で感じて育ってきた人が、実際にその立場になった時に、客観的に自分を見て、余裕を持つことができるのだろうか。

 

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これを読んでいて本当に憂鬱になった。人ごとではない。こういうのも目につく。

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 そういえば昔、小学生の時に、サザンオールスターズがテレビに出ているのを観て、なぜドラムとかベースを演奏している人たちは桑田さんみたいに主役じゃないのにこれを職業にして一生を過ごそうと思ったんだろう…と考えたのを覚えている。自分が主役になる人生を送るのが当たり前のように思っていたのかもしれない。実際のところ、例えイチローのようなスーパースターであっても人生の主役と呼べるような時期が最初から最後まで続くわけでもないだろうし、さらに言えばそんな時期がほとんど一度もこないという人生だって普通にあるだろう。集団の中で一番になるというのは難しいことだし、その裏にはそれ相応の膨大な努力量や、先天的な要素があるんだろう。

 

今あらためて自分の人生を考えてみると、主役になることを諦めてはいないように思える。簡単に諦められるほどの度量の広さは自分にはないし、悟ってもいない。だからこそ、毎日なんとか努力を辞めずに生きていられるのかもしれない。でも一方で、もしもその希望が絶たれたら、果たして自分はどんなモチベーションで生きていくのか。

別に何か外部的な素因がなくても希望が絶たれるその時は来るはず。俺の場合は老人になってからのロールモデルがないから、何十年か生き永らえているだけでその時がくることになる。楽観的にはなりにくい。

 

もちろん、そもそも主役とか脇役とか、そんなことはすべて自分の外側のことではある。どんなことが起きても自分の内側で、心の捉えよう次第で、主役にも脇役にもなれるということは頭では理解しているつもりだが…。でもそれを敷衍して毎日清々しい気持ちで生きるほどには、成熟した精神が持てない。ちょっとまだ修行がたりないらしい。

 


槇原敬之 - 世界に一つだけの花 (2005年 日本武道館) - YouTube