盤珪という人について
「秋の夜長は読書とブログ」というテーマでブログを書くとamazonギフト券が当たるかもしれないそうなので、読書の感想を書くことにした。どうせほとんど誰も見ていないブログなので、書く方としても気が楽だな…。
以前父に借りて東京に持ってきたまま本棚に埋まっていた本である。公務員試験が近づくのに勉強したくなくて、現実逃避のためにパラパラ読んでいたが、この前読み終わった。非常に示唆に富んだお話で、私にとっては大きく視界が開けるような、誤解を恐れずに書くと「悟りが開けた」ような感覚をもたらしてくれた本である。
恐らく誰にでもあると思うが、私もこれまで、「人生とは?」とか「なんでこんな辛い目にあわなければならないのか?」とか「この世とは何なのか?」といったようなある種の根源的な問いを考えたことがある。この本を読んで、そういったものからかなり解放されたような気がする。
この本は、江戸時代に生きた稀代の禅僧、盤珪和尚の生涯を描いた歴史小説であり、どちらかと言うと忠実に資料に基づいて書かれた学術書というよりも、創作小説の要素の方が大きいと思う。だが、それでも私は感動した。
私が特に感銘を受けたのは、盤珪和尚が悟りを開く場面で、その内容が著者によって丁寧に説明されていたのが非常に良かった。その部分を読んで得た私なりの理解というのは、別に大したものではないが、おそらく私のつたない言葉で説明しても誰にも何も伝わらないのではないかと思う。
だがしかし、そこをあえて表現するとすれば、だいたいこんな感じ。
この世というものは、私やあなたが生きていようが、死んでいようが、更にはそもそも生まれているかどうかにすら関係なく、より大きな存在として完結しているし、そういうものとして動いている。であるならば、今私が目の前のどうでもいいことに対してくよくよ悩んだり、焦ったりしている意味などないのではないか。
うーん・・・、やはり言葉にすると自分の中で理解できていない感じが露呈してしまうな・・・
で、これに加えて同じ日にkindleで読んだ城山三郎のエッセイがまたよかった。
この中に出てきた言葉で、タイトルにもなっている「この日、この空、この私」というものがある。私はこの言葉の話を読んで、盤珪和尚の話と合わせて非常に素晴らしいと感じた。その日一日をとにかく精一杯、幸せに生きるということが大事だということだと思うのだが、毎日どうでもいいようなことで思い悩んでいた私にとっては、それが大きな救いのような感じさえあった。
この二つの本を読んで得た教訓をまとめると、
・この世にとってどうでもいい私の人生なんだから、その人生の中の細かいことで悩む必要はさらさらない
・そんなにどうでもいいことなんだから、どうせならその日その日を楽しく充実して行きられれば十分じゃないか
というようなことだ。
私がこれまで自分の中でうんうん考えていたことは、どれも規範として「〜ねばならない」というものである傾向が強かったように思う。今回2冊の本を読んで得た知見で新しかったのは、それが「大事である」とか「大切である」といったような価値判断を含んだ規範ではなく、単に「これが真実だ」という気付きがあったことだった。つまり、「私は毎日楽しく生きるべきである」というよりは(もちろんこれはこれで正しい言葉だとは思うけれども)、「私は毎日楽しく生きようとするのが正しい」というような違いである。
うーん・・・やはり、私のつたない言葉では何も伝えられないのがもどかしい・・・。でもとにかく、私はこの2冊の本を読んで、毎日を生きるのがとても楽になった。本当にこれまでは辛いことばかりだったけれども、とても気持ちが楽になり、楽しくなった。もしこのブログを読む人がいれば(たぶんいないけれども)、ぜひ一読をおすすめしたい。
最近私は毎日空を見上げ、「この日、この空、この私」と心のなかでつぶやくようにしている。なんだか宗教みたいだが、そうすることによって「今日のこの日が地球最期の日だとしても、それでも構わないと思えるような時間の使い方をしよう」と決意を新たにできるのだ。
なんだか今読み返してみると、どれもなんだか中二病臭いけど、でも本当のことだし、もし私と同じように毎日悩んでいる人がいるなら、ぜひ知ってほしいと心から思う。