日々、淡々と

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なぜマーチングの大会は眠くなるのか

試験が本当に近い。近づくとやる気が出るのはいいけど、この試験がダメだったら1年長く大学にいなくてはいけないからちょっとだけ心配な気もする。

ま、そんなことはどうでもいいんだけど、そういう大事な時に限って勉強に身が入らず、youtubeとかDVDでマーチングの動画をぼんやり見てばかりいた。


西原高校マーチングバンド 1月5日 The Gang Ster - YouTube

西原高校のマーチングはほんとにすごい。どのタイミングをとっても飽きないし、盛り上げていく流れもすごい。

とぼんやり考えていたのだが、なんでこんな素晴らしいマーチングが他にもたくさん見られないのか、と思った。マーチングを観に行ってもどうしても中盤で眠くなってしまう。あれだけ楽しみにして大阪城ホールさいたまスーパーアリーナに行くのに、途中でコクリコクリきてしまう。退屈なマーチングが多いのだ。

ということで、「評論家ではなく、行動家であれ」という言葉を完全に無視する形になるが、客観的に見た立場からなんとなく退屈の原因かなと思ったことを少し書き留めておくことにした。

  

[まず前提として]

俺が小学校の時に近所の中学生がやっているマーチングを見た時は本当にかっこよくて、鳥肌が立った。小学校の高学年にもなると、1年に一度しかない近所の中学校の体育大会で彼らのマーチングを見るのをひたすら1年間楽しみにして過ごしていた。

で、その後自分も中学に入ってからはマーチングをしたわけだが、その時代にも大会やイベントで他の団体のマーチングを見るのを本当に楽しみにしていた。好きで仕方なかったし、鳥肌が立つような経験はすごいマーチングを見た時くらいでないと出来なかったからだ。当時全国の舞台で見た滝川第二の演奏は本当に感動して鳥肌が立ったのを今でも覚えている。

んで、マーチングや吹奏楽やそういう類いのものとは一切何の関わりもない大学生活を送っている今でもマーチングに関してだけは引きずっているわけだが、最近は昔あったような「感動できるマーチング」「鳥肌が立つようなマーチング」になかなか出会えない。小学生の時に感じた、「なんてかっこいいんだ!」「なんて迫力があるんだ!」という感想を持つマーチングを見る機会がない。単純にマーチング自体を見る機会だけで言えば何十倍にもなったのに、見ていて飽きてしまうマーチングが多い。なぜなのか。幾つか原因を考えてみた。

 

[原因①]・・・俺の目が肥えた

 これは間違いない。

 俺がスーパーのお惣菜売り場に行って、必死にアルバイトして稼いだ小銭を握りしめてお寿司(3割引き)を買って帰った時の喜びが、慶応幼稚舎からそのまま慶應大学まで行って今は社長やってて、これまで200回くらい海外旅行行きましたけど何か?(´・ω・`) 的な人にわかるのかと。

例えを間違えた気もするが、とにかくこれは違って当然。

 もちろん俺の目と耳なんて世間一般からしたらクズ・ゴミ・終わコンレベルだが、さすがに小学生の時よりは少し進歩しているだろう、いや、そうでなくとも劣化しているだろう。とにかく同じではないはず。大学生になった今、小学生の時のように当時憧れた中学生達のマーチングを観て、同じように迫力に圧倒され、涙をながすほど感動を感じるとは思えない。これは残念なことだ。

 

[原因②]なんか…構成ヘボくね?

 本当に俺みたいなやつがこんなことを書くのはおこがましいんだけど(マーチングでもスポーツでも何でも、実際にやってる人が常に正義だし主役であって、周りで見ている人は常に脇役・日陰の存在であるべきだからこんなことを書くのは本来間違っているのだが)、退屈な構成のマーチングがあまりに多い気がする。つくづく日本のマーチングは発展途上だと嘆息が出ることがある。

例えばM協のマーチングだと、

・学芸会の三文芝居みたいなマーチング

 (そんな小道具いる?みたいな)

・音楽性皆無の選曲 ないし 編曲

 (最近のつまらない吹コン課題曲みたいな感じ。継ぎ接ぎがあるのは全然いいんだけど、旋律のない音楽とかホント観てて辛い。最初にドドーンってみんなででっかいファンファーレ的な演奏しても、その後にほぼパーカッションだけのどうでもいい音楽?とともにどうでもいい動きをされるともう一気にそこで飽きる。)

・どうでもいい動き

(音と調和してるわけでもなくただごちゃごちゃ歩いているだけの必然性のない動き多くないか。必然性のある動きと必然性のない動きをどう区別するのかと言われたらなんとも答えに窮するところではあるのだが、やはり意味のない動きだなーと思う団体はある。意味のない動きしているのって、マーチングの趣旨からすると目的手段逆じゃね?いっそのこと座って丁寧に吹いた方がまだマシでは?みたいなやつ。)

・音の薄さ

 (やはり金管編成だとどうしても音が薄い感じがしてしまう。残念ながら一般団体は金管編成がほとんどだし、木管も含むことが多い中高団体の多くは技量がない。あとは、おいおいさすがにピットで音を水増ししすぎだろ的な演奏も。)

・冗長な構成

 (人は3分が集中力の限界っていうけど、そもそもマーチングを見てる時ってプレイヤーの親・兄弟・恋人以外は1分もったらいい方だと思う。この前ブルー・インパルスが事故ったのは演技が冗長になるのを恐れて急に技の内容を変えて練習したかららしいけど、やはり観客目線ってそれなりに大事なんじゃないかな。プレイヤー目線と審査員目線だけじゃなくて。)

・独特の文化

(会場が温まっているわけでもなく、演奏演技の流れが盛り上がってきているわけでもないのにカンパニーフロント直前の瞬間「いけぇぇ!!」と大声で叫ぶ関係者とか。別に会場が一体となって盛り上がったタイミングとかなら全然いいんだけど、一番最初からいきなり隣の席で叫ばれたら半ギレですわ。眠りの邪魔をするなと。)(あと静かな曲調の時なのにDVDの音声にまで入り込むくらいの声で、「たったったったっ…」てテンポとってる団体とか。本末転倒じゃね?DCIだと屋外だし聞こえないのかもしれないが、屋内だとやはり気になる。)

・もはや根本的な問題だが、観客のことをあまり考えて作られていない構成

 (スピーチでは数分に1回笑いを入れないと聴衆の集中力は途切れるそうだが、マーチングだって見どころ・聞きどころがないと客は退屈する。どうでもいい音楽に合わせて意味のない動きをしているマーチングを見ていると、吹奏楽連盟の退屈な団体と同じ臭いを感じてしまう。)

 

吹奏楽連盟の方でもいろいろとあるが、あげればキリがない。

 

[原因③]西原高校みたいなすごい団体がない

 これは結局②と一緒だが…。M協に限ると西原高校的な構成って割りと最強じゃね?とか思うわけですよ。一般団体含めて。あんまり知らないけど。西原高校の過去のマーチングとかちょこちょこ見てみると、

・選曲の良さ

・常に流動的に形を変えつつも一つ一つは幾何学的な形であることが多くて、ただラインで動くだけ(蛇のように)というのは少ないし、止まったところで列がビビるくらいピッタリ合っていてワオってなる

・ベルの向きを変えるタイミング、体の向きを変えるタイミングが曲と非常によく調和していて、かつ、その一つ一つの小さな動きに関してトメがあるから見ていて心地いい

・とにかく動く量が多い。2度か3度ほど途中で一区切りが入るけど、その合間は他の団体に比べてゆっくり歩いている場面や止まっている場面が非常に少なくて、見ていて飽きる暇がない

・曲の中で盛り上げるのが圧倒的に上手い。上手なソロとか、デクレッシェンドとクレッシェンドとか、シンバルとかで盛り上げて、その後に絶妙に間を持たせて緊張感を最高にしたところでカンパニーフロントとか。まさに「緊張と緩和」。これぞマーチングの醍醐味。どうでもいいところで「いけぇぇ!」で関係者が無理に盛り上げようとする人たちに比べても段違いにいい

・全体として緩急をつけながらも途切れない一貫した流れ&構成と、個々の緊張と緩和が相まって、相乗的に「すごい!」となる感じ

・学芸会の三文芝居的マーチングではなく、きちんと音楽と動きで勝負しているマーチング(もはや好みの問題かもしれないけど。)

 

というような、いわば王道(といってもM協で他にこのレベルの構成を見たことないけど)の、感動のあるマーチング。いやあ、かっこいい。

 

[まとめ]

とまあ色々書いたが、結局よくわからない。ははは

ま、こんなところでこんな何の役にも立たないゴミみたいなこと垂れ流してないで、人生のために勉強しよう…

 

最後に、西原高校の全盛期、黄金期と言って誰もが否定出来ないであろう2003と2004の動画を(こっそり)載っけておきますね(^◇^)

www.youtube.com

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